Jul 26, 2008
第12回「総集編」最終回 その一
第12回「総集編」総まくり
いよいよ、最終回を迎えました。ということで過去の放送のまとめを試みたいと思います。
第1回「稲作の伝来」
長江(ちょうこう)下流域の河姆渡(かぼと)遺跡では、約7000年前の層から大量の稲籾や米粒、農耕具等が発見され、既に水稲農業が行われていたのです。一方、長江中流域においては、彭頭山(ほうとざん)遺跡で、1986年に、河姆渡遺跡よりもさらに遡る約8000年前の稲籾が発見されました。このように長江下流域よりもさらに中流域で発見された年代の方が古いため、現在では長江中流域起源説が有力のようです。
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、稲の細胞化石「プラント・オパール」が出土しました。同時期の朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目ですが、今回は大量で、小麦などのプラント・オパールも見つかり、「縄文前期の本格的農耕生活が初めて裏付けられる資料」とされています。しかし、縄文晩期に大陸から伝わったとされるわが国稲作の起源の定説を約3000年以上もさかのぼることになり、長江流域からの直接の伝来も視野に入ってきました。
魏志倭人伝に語られた倭人の習俗はこの長江流域の文化圏に近いと認識されており、いわゆる海人族の文化が色濃く「邪馬台国」反映されていていいはずです。
第3回「吉備特殊器台」4回「楯築弥生墳丘墓」
特殊器台(とくしゅきだい)は、弥生時代の終わり頃(2世紀末〜3世紀)に吉備地方で作られた葬送(そうそう)用の特別の器台(壺などをのせる台)の形をした土器です。古墳時代になると特殊器台は、吉備地方だけでなく、箸墓古墳などを代表例として、畿内の最古型式の前方後円墳からも出土します。その形態は器台としての機能を完全に失い、むしろ円筒埴輪の類に入り特殊器台は円筒埴輪へと変化していくのです。この様な特殊器台の変化は、墳丘墓から前方後円墳への変化の過程、さらには弥生時代から古墳時代への変化の過程で起きており、時代の変革を説く鍵となっています。
岡山市と倉敷市の境にある楯築遺跡は3世紀前半の遺跡で古墳につながる日本最大の弥生墳丘墓です。ここでは特殊器台も 発見されましたが、この神社のご神体である亀石には、不思議な模様が描かれていました。近藤義郎教授によれば、この石の模様、「弧帯文(こたいもん)」が、後に纏向遺跡で発見された円盤の模様「直弧文(ちょっこもん)」、の源流と思われる、と指摘されており、吉備と纒向の関係がさらに注目されます。
つまり古墳時代の源泉は吉備にあるということです。しかも最も重要視されるべき祭祀道具に吉備が採用されている点で、「連合のあかしとして採用された」とする畿内説の説明には特段の根拠は感じられません。
写真「吉備特殊器台」岡山県立博物館蔵
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