Aug 08, 2008

第12回「総集編」最終回 その二

第5回「古墳ってなんだ?」第6回「造山古墳は王稜である!」 造山古墳

岡山市新庄下にある造山古墳は全長360m、高さ31m、全国では仁徳、応神、履中天皇陵につぐ4番目の大きさですがその四巨大古墳のなかで築造年が最も早いと考えられています。つまり当時、日本最大の古墳であったということになります。この四大古墳のうち造山以外がみな天皇陵とされて陵墓参考地なのになぜ造山は自由に入れてしかも未調査なのでしょうか?つまりは宮内庁の見解として天皇家とは関係がないといっている訳ですが、ではいったい誰のお墓なのでしょう?

造山古墳は、風水観からも王稜にまちがいありませんし、備前最大の両宮山古墳も二重周濠をそなえた、これも王稜です。ではこの二つは天皇の稜なのでしょうか?かりに天皇陵であるとすれば、その天皇はとてつもなく吉備に縁のあった人物ということです。また、天皇でないとすれば天皇勢力に拮抗して王を名乗る人物とその勢力が存在したということになります。

造山古墳の前方部に放置された石棺は阿蘇の石で作られたことで有名です。 また先年、中国洛陽の李徳方氏を招いた時、氏はこの造山古墳を一目見て「これは王稜の位置にありますね」、まさに中国で風水に言う「臥龍の形」をなしている・・と言われたそうです。つまり、九州との関係が深く、しかも中国思想に大きく傾倒している人物の墓といえます。

後に雄略天皇が中国人を重用することや、100年後の古墳が風水に従って造営されることなど、この吉備の巨大古墳との関係を深く考えないではいられません。

今回の番組制作に大変お力を借り出演もいただいた、岡山を代表する専門家である出宮氏は持論として「造山古墳王陵説」を唱えておられます。しかし我々岡山人にとって残念なことは、その氏の素晴らしい実績をもってしても、自説をベールにくるんだ形でしか表現できない状況がどうやらあるらしいということです。つまり、畿内説ないしは九州説以外ではその業界内では相手にされない空気のようなものがあるようです。

私はこの弥生から古墳にかけての歴史について勉強する中で、邪馬台国吉備説の可能性は専門家によって決定的に否定される証拠のようなものをつきつけられるものと半ば期待しておりましたが、実際にそのようなものはありませんでした。この古代史論争はかえって科学的ではないという一般人からは信じられないような側面があるようだというのが私の感想です。

この番組は08年夏でいったん終わりますが、近い将来さらに内容を充実させて再開したいと思いますのでどうごご期待ください。

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